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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)11463号 判決

原告

文原こと文徹

ほか三名

被告

森廣昇道

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告金妙子に対し金六九六万七三〇九円、原告文徹に対し金四九四万四八七三円、原告文香織及び原告文沙織に対しそれぞれ金四六四万四八七三円並びにこれらに対する平成四年八月七日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを八分し、その七を原告らの、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは各自、原告金妙子に対し金五七八七万円、原告文徹に対し金三九五八万円、原告文香織及び原告文沙織に対しそれぞれ金三八五八万円及びこれらに対する平成四年八月七日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。

第二事案の概要

自動車専用道路上で、大型貨物自動車が進行し、その頃、その附近で歩行者が死亡した事故について、被害者の遺族から、同車両の運行供用者及び運転者に対し、被害者の死亡は同車両に接触したことによるものであるとして、自賠法三条、民法七〇九条に基づき、損書賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等(証拠によつて認定する事実は証拠摘示する。)

1  本件事故の発生

被告森廣は、平成四年八月七日午後一〇時一五分ころ、三重県阿山郡伊賀町大字御代地内、自動車専用道路国道二五号線(通称名阪国道)下り二二・一キロポスト先路上において、大型貨物自動車(富一一こ八七九)(被告車両)を運転して、東から西に走行していたところ、事故を起こし停止していた普通乗用自動車(なにわ三三そ二〇一五)から降車した文原こと文官秀(亡官秀)が、その頃、その附近で、開放性脳挫傷によつて死亡した(事故態様について乙一の1、3、被告森廣本人尋問の結果、亡官秀の死亡について甲一一)。

2  被告会社の責任

被告会社は、被告車両の保有者である。

3  相続

原告妙子は亡官秀の妻、原告徹、原告香織及び原告沙織は亡官秀の子であつて、亡官秀及び原告らは韓国国籍を有す(甲四の1、2、弁論の全趣旨)。

4  既払い

原告らは、自賠責保険会社から二一〇八万二六一六円の支払いを受けた。

一  争点

1  亡官秀と被告車両の接触の有無、免責及び過失相殺

(一) 原告ら主張

亡官秀を轢く余地のある後続車はありえなかつたこと、被告車両には血痕や体液様のものが付着していたこと、事故後被告は亡官秀を轢いたことは認めていたことからして、亡官秀が死亡したのは、被告車両が轢いたことによるものである。

本件事故現場は自動車専用道路上であるが、被告は、事故車両が停止していたことをその二、三百メートル手前で認めていたから、事故車両の横を通過する際に徐行すべきところ、現実には時速三五キロメートル程度で通過し、かつ前方の注視が不十分であつたから、被告は免責とならず、大幅な過失相殺も認めるべきではない。

(二) 被告ら主張

被告車両に付着していた手型は亡官秀のものではなく、亡官秀の身体の損傷状況からすると、被告車両には大量の血痕が付着すべきなのに、それは認められず、捜査段階で血痕とされた赤い点も、鑑定による確認はされていないから、被告車両は、亡官秀を轢いておらず、後続車が同人を轢過して、死亡させた。

仮に、被告車両が亡官秀に接触したとしても、被告は原告車両を発見した際、減速して、横を通り過ぎる際の速度は時速三〇ないし三五キロメートルであつたし、人影を発見したのは横を通り過ぎる地点であつて、クラクシヨンを鳴らし、すぐブレーキをかけているところ、自動車専用道路上を通過中の車両に向かつて人が横断してくることは予想できず、既に亡官秀の横を通過中であつた被告森廣には、接触を回避する術はないから過失はなく、本件事故は、専ら、事故車両の影から小走りに道路を横断した亡官秀の過失によるもので、被告車両には構造上の欠陥、故障はなかつたので、被告らは免責であつて、そうでなくとも、八割以上の過失相殺をすべきである。

2  損害

(一) 原告ら主張

(1) 亡官秀の損害

処置費用一〇万一九七〇円、逸失利益一億七〇六一万〇三〇〇円(1620万円×(1-0.3)×15.045、亡官秀は、代表取締役をしていた株式会社三景から、給与として年一六二〇万円の支払いを受けていた。)、慰藉料二四〇〇万円

(2) 原告徹の損害

葬儀費用一〇〇万円

(二) 被告ら主張

争う。

株式会社三景は親族会社であり、亡官秀の給与には実質的な利益配当が五割程度含まれているから、その部分は逸失利益の対象とならない。また、株式会社三景は赤字経営であつたので、亡官秀の給与は安定的なものではない。

第三争点に対する判断

一  亡官秀と被告車両の接触の有無、免責及び過失相殺

1  本件事故の態様

(一) 前記の本件事故の態様に、甲五の1ないし11、六ないし八、一一、一二の1ないし7、一三、乙一の1ないし22、証人金京淳、同東口晴彦の各証言、被告森廣本人尋問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

本件事故現場は、ほぼ東西に延びる西行きの二車線、全幅員八・五メートル(中央分離帯から左側ガードレールに向かつて、路側帯〇・七メートル、追越し車線三・五メートル、走行車線三・五メートル、路側帯〇・八メートル)の、曲線半径約一〇〇〇メートルの右カーブの自動車専用道路(本件道路)上で、その概況は別紙図面のとおりである。本件事故当時夜間で、照明設備がなく、暗かつたものの、前方の見通しはよかつた。本件事故現場附近の道路はアスフアルト舗装されており、路面は平坦で、本件事故当時乾燥しており、速度は時速六〇キロメートルに規制されていた。本件事故当時は晴天であつた。

被告森廣は、被告車両を運転し、本件道路を西に向け、ライトは下向きにし、時速約七五キロメートルで直進していたが、別紙図面〈1〉附近に至る以前に、同図面〈A〉附近のハザードランプを点滅している原告車両に気付き、軽くブレーキを踏んで時速約六〇キロメートルに減速し、少しずつ右に進路を移し、減速しながら、進行し続け、同図面〈2〉附近に到達したところ、原告車両の前方陰から、同図面〈ア〉附近をふらふらしながら、被告車両進行方向に出てきた亡官秀を認めたので、ブレーキをかけたが及ばず、同図面〈×〉附近で接触し、同図面〈ウ〉附近まで移動させ、その経過で、亡官秀に開放性脳挫傷、前胸部挫滅創、左上腕挫滅創、右下腿開放性骨折等の傷害を負わせ、即死させた。被告は、被告車両が同図面〈4〉に至つた際、左サイドミラーで後方を確認したところ、同図面〈ウ〉附近に倒れていたないしうずくまつていた者が見えたため、衝突したかもしれないと考え、被告車両を同図面〈5〉附近に停車させ、歩いて、同図面〈ウ〉附近に戻つたところ、そこに亡官秀が倒れているのを認めた。

(二) なお、被告森廣の本人尋問での供述には、亡官秀を初めて発見したのは同図面〈3〉の位置を進行した地点であつたこと、同図面〈4〉で一旦停止したこと、同図面〈4〉から〈5〉に至るまで後続車が四、五台通過したこと等右認定に反する部分があるが、乙一の1、3、甲六ないし八からすると被告森廣の供述は、捜査段階から変遷していること、乙一の1、甲七に照らして虚偽であることが明らかな現場に血痕のついたタイヤ痕があつた旨の供述があること等も考えると、右部分は採用することができない。

また、被告らは、亡官秀の身体の損傷状況からすると、被告車両には大量の血痕が付着すべきであるのに、それは認められないから、接触はなかつた旨主張する。しかし、甲一三によると、亡官秀の頭部に傷害部位は認められず、主な傷害部位である顔面は鼻根部で骨折、左上眼窩部から左耳部にかけて裂創し、脳内が露出しており、顔面上部が原型をとどめない状態で、左上肢、左肩甲鎖骨三角部から右鎖骨部にかけて挫滅創があり、左大腿骨骨折、右下腿骨開放性骨折は認められるものの、粉砕骨折等の轢過や巻き込みがあつた蓋然性を認めるに足る傷害はなく、一般的に、衝突の態様によつては、被告車両に付着する血痕等が少ないこともありえないではなく、現に、乙一の1、甲七からすると、現場に残つていた血痕は点在していたものであるから、甲五の4ないし11、証人東口晴彦の証言によつて認められる被告車両に残つた血痕の状態や体液様の物の付着状態と一致している。したがつて、被告車両への血液等の付着が少ないということから、原告と被告車両との接触を否定することはできない。かえつて、乙一の1、3、甲六ないし八、被告守廣本人尋問の結果によつて認められる被告本人が捜査段階から一貫して供述している同図面〈ウ〉を通過直後、同図面〈4〉附近で、サイドミラーを見ると、後に亡官秀とわかつた者が倒れていたないしうずくまつているのを見たという事実からすると、被告車両が亡官秀に接触したと推認できる。

なお、証人金京淳は、原告車両の前面ガラスに、亡官秀が頭を打ちつけたと思われる痕があつた旨証言するものの、甲一三、乙一の1、証人東口晴彦の証言に照すと、正確な記憶か否か問題もあり、仮に、そのとおりの事実が認められても、右各証拠からすると致命的な傷害を与えたものではないと認められる。

2  当裁判所の判断

右認定事実からすると、被告森廣は、自動車専用道路上であつても、前方に事故車両である原告車両を認めたから、被害者等事故関係者が附近を歩行する危険があることが予想されたといえ、それに近付く際には十分な減速や距離をおくことが不可欠であるところ、それらを怠り、亡官秀を発見した同図面〈2〉附近で、ブレーキをかけても及ばず、亡官秀に接触し、死亡させたから、被告森廣には七〇九条の責任があり、被告会社も免責されない。しかし、亡官秀も自動車専用道路上を横断する形となつていたこと、その際の右方確認は不十分ないしされていなかつたと推測されることからすると、相応の過失相殺をすべきところ、前記の双方の過失の程度に、夜間であること、衝突の位置は走行車線内で、原告車両との距離もそう遠くはないこと等の前記認定の一切の事情を考慮すると、その割合は七割が相当である。

三  損害

1  処置費用 一〇万一九七〇円

甲三によると認められる。

2  逸失利益 一億一五八四万六五〇〇円

甲二、九、原告妙子本人尋問の結果によると、亡官秀(昭和二二年一一月二三日生男子本件事故当時四四歳)は、本件事故当時、妻原告妙子があつた他、その間の三子を扶養していたこと、立命館大学理工学部応用化学科の大学院の修士課程を卒業した後、父文斗錫が設立したメツキ加工を業とする株式会社三景に就職し、昭和五十二、三年頃、同会社の経営を譲り受け、最終的には代表取締役になり、工場でのメツキ加工、外回りの営業や配達まで会社の業務全般に従事していたこと、平成三年右会社から給与として年一六二〇万円の支払いを受けていたこと、平成二年の右会社からの給与は年一三〇〇万円程度であつたこと、妻である原告妙子も右会社の一般事務や集金などの銀行関係の仕事に携わつていたこと、右会社内で亡官秀に次いで収入の高い、取締役かつ亡官秀の弟である文幸秀の月収は七、八十万円であつたこと、亡官秀の死亡後である平成四年、右会社は名称が変わり、債権債務の整理がされた後、その仕事は幸秀が引き継いだこと、その後、原告妙子は右会社から離れ、保険外交員として稼働し、子らの生計を維持していること、右会社の平成三年二月一日から翌四年一月三一日までは経常損失は二四七〇万六一三一円であつたが、特別損益まで含めた全体では当期利益は一九三七万七〇六九円の黒字であり、当期未処理損失は四八三万四〇五八円であつたこと、その前期からの繰越損失は二四二一万一一二七円であつたことが認められ、右各事実からすると、原告の右収入のうちには、ある程度の利益配分も含まれていると推認される他、収入の継続性・安定性にも問題があるところ、右事実からすると、亡官秀は、労働可能年齢である六七歳までの二三年間、労働の対価として、右収入のほぼ七割である一一〇〇万円の収入を得た蓋然性があると認められ、生活状況から生活費控除率を三割とし、新ホフマン係数で中間利息を控除すると、左のとおりとなる。

1100万円×(1-0.3)×15.045=1億1584万6500円(小数点以下切り捨て、以下同じ)

3  慰藉料二四〇〇万円

亡官秀の家族状況等によると、右額が相当である。

4  亡官秀の損害合計 一億三九九四万八四七〇円

5  原告徹の損害(葬儀費用) 一〇〇万円

弁論の全趣旨によると、認められる。

四  過失相殺後の損害 亡官秀四一九八万四五四一円、原告徹三〇万円

五  相続及び既払い控除後の損害 原告妙子六九六万七三〇九円、原告徹四九四万四八七三円、原告香織及び原告沙織各四六四万四八七三円

韓国民法一〇〇九条一項により、原告妙子の相続分は三分の一、原告徹、原告香織及び原告沙織の相続分はそれぞれ九分の二であるので、亡官秀の損害額をその割合で分配し、原告徹の固有の損害を加えると、原告妙子一三九九万四八四七円、原告徹九六二万九八九八円、原告香織及び原告沙織各九三二万九八九八円となり、既払い金二一〇八万二六一六円は相続分の割合で控除されたと推認されるから、原告妙子について七〇二万七五三八円、原告徹、原告香織及び原告沙織について各四六八万五〇二五円を控除すると、その後の損害は右のとおりとなる。

六  結語

よつて、原告らの請求は、原告妙子が金六九六万七三〇九円、原告徹が金四九四万四八七三円、原告香織及び原告沙織が各金四六四万四八七三円及びこれらに対する不法行為の日である平成四年八月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判官 水野有子)

(別紙図面)

〈省略〉

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